カテゴリー別アーカイブ: 日本の文化
ようやく書き初め
本来1月2日に行うべき書き初めが、今日になってしまいました。
昨年末あたりから漢字用の筆に悩んでいたのですが、世田谷•
ボロ市で新しい筆を入手しました。
奥に写っているのが、急場しのぎで使っていた筆で、手前が
今回入手した、ずっと使っていたのと同じ筆です。
比べてみると穂先の太さ、長さが微妙に違うのがお分かり
頂けると思います。
このわずかな違いが気になっていました。
こうして見ると奥の細く長い筆は、千字文を書くには良さそうです。
今回購入した手前の筆は、蘭亭序の復習には欠かせない感じです。
よく弘法大師は筆を選ばないと言いますが、史実は違います。
中国から書法によって違う筆を持ち込んだのは弘法大師なので、
「筆にこだわる」と言い換えた方がよいと思います。
その弘法大師にあやかる訳ではありませんが、用途によって筆を
変えて使ってみようと思います。
2016用 門松
毎年ブログに書いていますが、今年も原一菜先生の講座で
門松作りを行いました。
太田流(旧 小笠原流)では、左右で違う種類で、根が
ついている松を使う事が特徴です。
水引は、日の出を現したものです。
既に昨日の内に飾り付けを行っています。
これは一夜飾りになるのを避けるためです。
門松は、歳神様に来て頂く目印(依りしろ)です。
この歳神様というのが日本独自の考え方と聞くと、大事に
したい習慣だと思います。
水引折方の際に
久しぶりに水引折方を行いました。
この包みを作る時に使用しているのが、
このような刃の長いハサミです。
奉書を切る際に使います。
一般に見かける物ではありませんが、文房具として販売されて
います。
ところで祝儀袋などの折りを行うのを「折形」と表記している
流儀もありますが、これは正しくないと聞いています。
このように間違ったことが当たり前になってしまっているのが
礼法の世界では多いそうなのです。
きちんと学ぶべき所で学ぶと正しいことがわかるという礼法は、
学ぶ人間にも覚悟がいる世界なのだということだと思います。
貝桶•貝合せ柄の小皿
藤那海工房金曜クラスの方が、修復されている小皿をご紹介致します。
対の貝桶と貝合せが描かれた小皿です。
愛嬌すら感じる筆致がとても魅力的なので、撮影させて頂きました。
貝桶•貝合せの柄も珍しいと思います。
骨董店でお求めになったそうですが、いつの時代のものなのか、
確認し忘れてしまいました。
江戸時代に貝桶•貝合せは婚礼の際の持ち物として筆頭となります。
それだけ格が高いのは陰陽の影響もあるかと思いますが、一組の
ものでなければ合わないというところに日本人が「互いに分ちがたい」
という心情を感じたからだと考えます。
この小皿も婚礼に関するものとして作られた器かもしれません。
よいものを見せて頂きました。
貝桶柄の打掛
京都国立博物館に収蔵されている貝桶柄の打掛をご紹介致します。
江戸時代(18世紀) 「浅葱綸子地貝桶文様」
浅葱色の地に友禅染めと刺繍で、貝桶と蛤の柄が入っています。
それぞれの蛤、貝桶が変化に富んだ表現がされており、その丁寧な
仕事振りに、この打掛に込められた願いが見えるようです。
貝合せは、遊びとして発祥しましたが、蛤が他の貝とは決して対にならない
ことから江戸時代には嫁入り道具の筆頭になりました。
転じて貝桶は吉祥文様として入れられているのです。
金繕いのカリキュラムでは、金箔のあしらいの練習として貝合せの
制作を入れています。
その際、蛤のご用意をお願いしています。
これに対してアサリでは駄目か?ホンビノス貝では駄目か?という
質問が多くあります。
このような歴史をご理解頂ければ、蛤でなければならないとご理解
頂けると思います。
まずは蛤で制作頂き、その後お好みの貝でチャレンジして下さい。
鏡餅考
11日は鏡開きの日でした。
皆様はお餅を召し上がりましたか?
ネットで検索しますと、鏡餅には諸説あることに驚かされます。
何のために飾るのか?
何を現しているのか?
なぜ2つ重ねるのか?
合わせて飾る物は何なのか?
食べる時には、包丁を使ってはいけないのか?
日本の儀式は中国から宮中へ伝来したものが多いのですが、それが
庶民へ一般化する際に別の物で代用したり、わかりやすいように
説明を変えたりしているうちに、本来の意味がわからなくなっているものが
少なくありません。
鏡餅はその代表的な例かもしれません。
ちなみに鏡餅は稲作とも、三種の神器とも関係がないと聞いています。
食べる時に刃物を使ってはいけないといのは、切腹がイメージされるから
ではなく、包丁が欠けないようにカナズチを使った方がよいという
極めて実用的な意味からだそうです。
鏡餅に込めた本来の意味は、新しい年を迎える準備というシンプルな
ものなのです。
門松の処分
歳神様に来てもらう目印(よりしろ)として家の入口に飾っていた
門松ですが、7日をもって下げました。
この門松の処分方法については、いろいろな考え方があるかと
思いますが、太田流(旧 小笠原流)では白い紙に包みます。
このあとは燃えるゴミに出して構わないとされています。
7日としたのは、現代の動きに合わせたからです。
本来は15日の左義長(どんと焼き)で処分するものでしたが、現代で
15日というと仕事が始まって随分経った日になりますので、そこまで
飾っておくのはむしろ不自然です。
そこで7日に繰り上がりました。
ところで門松を包んだ白い紙ですが、水引折方では白い紙というのが
重要な意味を持ちます。
金繕いの教室では、そのようなお話もさせて頂いています。
2015用 門松
先日の屠蘇と合わせて、特別講座では門松も制作しています。
引っ越したマンションは門扉がありますので、門扉につけました。
太田流の門松は、根引きの松であること、左右で松の樹種が違う
ことが大きな特徴です。
家の間取りで、右左の松の樹種が決まります。
今年苦心したのが、右側の松の幹が曲がっているところです。
曲がっていると、水引の下の掛け紙を巻くのがとても難しく
なります。
ところで門松は師走に入れば、いつ飾ってもいいことになっています。
やってはいけないのが、31日に飾ることです。
一夜飾りといって、付け焼き刃を意味するからです。
私も30日に飾りつけました。
2014年もあと数時間で終わりになります。
どうぞ来年もよろしくお願い致します。