カテゴリー別アーカイブ: 日本の文化
紫染めの飾り座布団
原一菜(いちな)先生が、自生ムラサキで染められた絹で
作られた飾り座布団です。
紫染めは染色方法を変えることで、ピンクのような鮮やかな色から
深い紫色まで、様々に変化します。
この飾り座布団は落ち着いた藤色に染め上がっていますが、ため息が
出るほど美しい色です。
先日ご紹介しました第25回草木会展は、明日23日(日)午後5時まで
です。
よろしかったらお出かけ下さい。
四方右掛け
茶道具など大切な物が入った桐箱の紐結びに悩まれたことは
ありませんか?
ネットで検索すると出てくるのが「四方左掛け」という、最初の
輪が左にある掛け方です。
これに対し輪が右にあるのを「四方右掛け」といいますが、
両者の違いは流儀によるものです。
太田流では「四方右掛け」になりますので、この方法を習得
する必要があります。
紐結びが苦手な私は、何度も練習しました(汗)
いざという時は突然やってくるので、その場で戸惑わないようにする
には覚えるしかありません。
ちなみに桐箱蓋の木目の方向にも決まりがあります。
花活け 薩摩紅梅
先日花活けのお稽古の花材として使ったのが「薩摩紅梅」
です。
画像でご覧頂けるように、紅梅の中で最も赤いと言われる品種
です。
梅一輪という言葉がありますが、日本人は梅の木に一輪花が
ほころんでいる状態を好みます。
いかにも春が待ち遠しいという感じですね。
一方中国では、梅も満開の状態を愛でます。
文化の源泉である中国と、日本の感覚が梅ひとつとっても違うと
いうのが面白いところです。
松の内終了
新年8日目。昨日で松の内が終了しました。
門松も片付けます。
白い紙に包んで、燃えるゴミに出します。
情緒がないのは残念ですが、マンション暮らしなので燃やす訳には
行きません。
左義長を待たずに現代の生活に合わせて松の内終了とするように、
致し方ない変化だと思います。
ところで左義長は「どんと焼き」とも言われますが、この「どんと」
という音が気になっています。
どういう意味なのか、わかりましたらご報告したいと思います。
屠蘇2013
昨日の門松のお稽古では、合わせて屠蘇包みも作っています。
屠蘇とは「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生する薬」の名です。
中国•唐時代に創作されたものが、平安時代に日本に伝わりました。
まず6種の薬効成分の入った薬包みを作ります。
これを布でくるみます。
この布も薬効成分の1つです。
三角形に縫って完成です。
これを水やお酒、みりんに浸して屠蘇が出来ます。
今回おもしろいお話を聞きました。
本来中国の慣習として伝来した屠蘇が、現在中国では全く行われて
いないそうなのです。
日本では、屠蘇を元旦に飲むのが宮中行事に組み込まれ、一般に広まった
ので、現在でも正月の行事として行われているのだとか。
屠蘇は、日本オリジナルの文化になったのです。
門松つくり2013
昨年末にもアップしましたが、今年も門松つくりのお稽古に
行ってきました。
原一菜(いちな)先生のご指導で、太田流(小笠原流礼法)の
ものです。
ご覧頂いてわかるように根引きであること、左右で違う松を使う
ところが太田流ならではです。
水引は真結びの上、輪を作り日の出を現しています。
真結びの水引1本1本をきれいに整えたいのですが、これが
なかなか難しいのです。
今年は松の形を整えるのが、手際が良くなったように思います。
1年に1度ですが、少しずつでも上達出来たらいいなと考えて
います。
桐紋
昨日の箱義桐箱店をご紹介したつながりで、桐紋についてUP
したいと思います。
箱義桐箱店さんの社章に使われていたのと同じ「五三の桐」です。
「五」とは中央の花の数を言い、「三」は両サイドの花の数を言います。
花の数違いで、「五七の桐」があります。
この二つは天皇家と宮家で使い分けていました。
皇室ゆかりの紋は足利尊氏に下賜されたのを始まりに、その後も時の
権力者(豊臣秀吉など)にも下賜されます。
江戸時代に入ると一般化し、現在では日本国政府の紋としても使われています。
政府関係者が記者会見に使う演台が、正面がさみしいとの理由で桐紋が
配されたのも記憶に新しい話題です。
この桐紋、実際とは違う創作がされています。
今年4月に撮影した桐の花です。
花は枝の最先端につき、葉はその下から芽吹いています。
つまり紋のように葉から花は出ないのです。
また花の時期には、葉はそんなに大きくありません。
今年の7月に撮影した桐の葉です。
葉が大きくなるのは夏です。
人の顔より大きくなっています。
このように実際にはない状態をデザインするのが、紋の
おもしろいところです。
中秋の名月
今夜は中秋の名月です。
天候に恵まれ、くっきりと浮かぶ月が見られました。
「月餅」を頂きました。
特別な「中秋蛋黄月餅」なので、中に卵黄が入っています。
なぜ月餅なのか、横浜•華正楼の案内によると、
「中国の唐朝時代、唐明皇帝が月見宴を催されたとき、この菓子が
供されたところ大変お気に召され、皇帝より中秋月餅の名を
賜りました。
それ以来仲秋の名月には、月餅を贈り合い、ともに月に感謝して
祝いながら、交流を深める風習が今日まで続いています。」
ということです。
黄身と餡という取り合わせが不思議だったのですが、違和感が
ありませんでした。
黄身は塩卵で餡とともに口に入ると甘しょっぱい味がし、こしあんと
食感に差がないからでしょうか?
本日は菊の花活けもし、すっかり秋の一日です。
抹茶茶碗の仕上げ
先日のブログで、仕上げは自由にお考え下さいと書きましたが、
注意を要する器があります。
それがお抹茶茶碗です。
画像は、NHK学園市川オープンスクールで受講して下さったSさんの
作品です。
当初Sさんは、緑の釉薬に馴染む緑色での総体繕い(共直し)をお考え
でした。
総体繕い(共直し)は、金•銀泥を使わず色漆を調合して仕上げを行う
方法です。
茶碗の場合、この総体繕いを行いますと格が下がるとされています。
これは金繕いの発祥に関わるところからも、その理由があります。
ですのでお茶碗の仕上げは、よくご検討の上お決め下さい。
最終的にSさんは、銀泥仕上げを選択されました。
銀の硫化の過程で、気に入った色の時に止めて頂ければよろしいかと
思います。