カテゴリー別アーカイブ: 日本の文化
重陽の節句にちなんで
9月9日、重陽の節句にちなんで、菊の話題をお届けします。
画像は山手西洋館のベーリック•ホールの居間にある暖炉です。
ここに一見、菊の御紋に見える彫刻がされています。
しかしこれは菊の御紋ではありません。
『ロゼッタ文様』という西洋ではよく見る文様です。
その起源はエジプトのロータス文様です。
この文様は蓮を横から見たところです。
これがヨーロッパに伝搬して、ロゼッタ文様になるのです。
(蓮を上から見た絵になります)
ロゼッタというとバラの意味かと思われると思いますが、バラという
より花文様の代表と考えた方がよいと思います。
さてロータス文様は、中国を経て日本にも伝搬します。
法隆寺などの軒瓦に現れる「蓮華文」がそれです。
これは蓮を上から見た文様とわかります。
(諸説あります)
ところで菊の御紋ですが、モチーフは私達が日常馴染んでいる菊とは
種類が違います。
宮廷での重陽の節句の行事は、この特定の種類の菊を使用していたので、
被せ綿など間違って伝わってしまった行事があります。
ではどんな菊だったのか。
ご覧になれば、菊の御紋も、被せ綿も、菊花酒も納得されます。
ご興味のある方は、お教室で質問下さい。
箔合紙と箔打紙
金箔のあしらいの練習として行っている『貝合わせ』のカリキュラムで
質問が多いのが、箔合紙についてです。
よく「油取り紙になるものですね。」と言われるのですが、完成した金箔の
間に入っているのは箔合紙で、油取り紙にはなりません。
箔合紙とは金•銀箔を保存し、1枚ずつはがしやすいように間に入れて
いるものです。
三椏紙で、岡山県津山市の上横野が最大の産地です。
一方、箔を打ちのばす時に使われるのが箔打紙です。
これが油取り紙になります。
雁皮紙で、名塩の鳥子紙がよく知られています。
箔打職人さんがそれぞれで灰汁、柿渋、鶏卵を混ぜた液に浸けて
仕込んだものを使います。
金箔を貼り終わると箔合紙が残りますが、いろいろ転用が出来ます
ので、取っておかれるのをお勧め致します。
奉書紙
奉書紙で、祝儀袋の折方を行いました。
奉書紙は、一度できれいに折らないと美しく出来上がりません。
折り直ししてしまったものは「あだ折り」と言って、使用できなくなります。
このようなところに、それぞれの事柄に物を誂えるという日本の
精神が伺えます。
ところで奉書紙とは、公文書に使われた厚い楮紙のことです。
天皇•将軍などの意向や決定を奉じて、下された文書を奉書と言いました。
年号が「平成」と報道された時、故 小渕恵三官房長官(当時)が掲げた
文字を覚えておられるかと思いますが、あれも奉書紙に書かれたものでした。
専属の書家が、年号決定から報道までの短い時間に限られた枚数で練習をし、
清書を書かれたそうです。
この話を聞いてから、あの場面を目にするたびに、「平成」の2文字に
緊張感を感じています。
端午の節句
端午の節句にちなんで、尾形光琳筆『燕子花図』です。
(根津美術館 蔵)
菖蒲湯に使われるのは、菖蒲(サトイモ科)で、
燕子花は、花菖蒲と同じアヤメ科です。
この2つが混同されやすいのは、かつて分類されていなかった為と
考えられます。
植物園芸が隆盛した江戸時代から花菖蒲が流行しましたが、
やはり端午の節句は水草随一の格を持つ『燕子花』を
お送りしたいと思います。
藍の種を蒔く
藍(蓼藍•たで科タデ属)の種を頂いたので、蒔いてみました。
種にはカラがついているので、少々ほぐしてから蒔きました。
藍の種は実った翌年しか発芽しないので、注意が必要なのだそうです。
発芽日数は7〜14日です。
藍というと、葉を発酵させた藍染めがポピュラーですが、生葉を
布ではさんで叩いただけでも染色が出来ます。
染色とは植物の薬効を生かすだけでなく、古来は“すりごろも”と言って、
初めての土地の土地神へのあいさつとして行ったものなのだそうですから、
このような染色方法の方が原点に近いのだと思います。
これらの方法の他、生葉の汁を絞っても染色が出来るそうです。
うまく栽培ができたら、水浅葱色という薄い水色に染まる
この方法にチャレンジしてみたいと思います。
実は日本生まれです
飲食店やご家庭で当たり前のように使われている「ペーパーナプキン」
ですが、実は日本生まれだということをご存知でしょうか?
以前のブログで明治時代に和紙が盛んに輸出されていた話を書きましたが、
それに関連しています。
和紙の薄くて丈夫な特性に着目した横浜の外国人商会が、和紙でナプキンを
作ったことに始まりがあります。
さらに おもしろいのが、浮世絵に見られる木版の印刷技術を使って広告を
印刷したことです。
後年の物になりますが、横浜の山手西洋館のひとつ、ベーリック•ホールに
この館を建てたベリック氏の会社のペーパーナプキンが展示されています。
2009年に偶然、ロンドンのアンティークショップで見つかったものです。
美しい図版です。
洋風なんですが、和の雰囲気もありますね。
横浜の山手西洋館周辺は、新緑と花々で美しい季節を迎えています。
ゴールデン•ウィークの後半、お出かけになって実物をご覧になって
みて下さい。
鳳凰が棲む
桐をスケッチする機会に恵まれましたので、桐について
お送り致します。
桐は鳳凰が住処とし、竹の実を食べて生存するという中国の古伝説に
基づいて、吉祥の象徴になっています。
ご存知の方が多いと思いますが、桐の木は成長が早く、かつては女の子
が生まれたら桐の木を植えて、嫁入りの際には成長した木で箪笥を作る
という風習があったほどです。
桐の木の大木です。
荘厳さがあり、鳳凰が棲むというのもわかるような気がします。
桐の花のつぼみです。
つぼみには産毛があり、ベルベットのような感じです。
陽の数“5”で構成されたつぼみと花を見ますと、格の高さがわかります。
次の機会には皇室及び時の執政者の紋章となった桐文について
書けたらと考えています。
大量輸出
金繕いの工程で、和紙を使う場合があります。
先月文化庁が、ユネスコの無形文化遺産に和紙の登録を目指す
との報道がありました。
そこでかつて和紙が大量に輸出されていた、という話をお送り
したいと思います。
江戸時代末から明治時代にかけて欧米各地の万国博覧会に出展
された和紙は、種類の多様さと品質の高さが評価されて、さかんに
輸出されるようになります。
用途は様々。
タイプライター用紙、謄写版原稿用紙、宝石包装紙、コーヒー濾過紙
などなど。
いずれも和紙の薄くて丈夫な特性を生かしたものです。
その量は現在では考えられないくらい膨大なもので、横浜港 では生糸、
絹製品に続く輸出品として第3位の輸出量を誇っていたのです。
しかしこの状態も、明治34年(1901)をピークに減少していきます。
これは資本主義の進展とともに紙の需要が急増していくのに、
手漉きの和紙が対応しきれなくなってしまった為でした。
同時に国産の洋紙生産が軌道に乗り、輸入もされるようになって
しまうのです。
輸出用の和紙を載せた馬車が、横浜港の桟橋にたくさん並ぶ…
明治時代にそんな風景があったのです。
桜咲く
5月中旬くらいの陽気になった今日、すでに満開の桜を
撮影してみました。
桜は昨日の1日講座で制作して頂いたように、蒔絵の第1歩と
して使っております。
これは桜が日本人の最も好む花であることもありますが、陽木として
格が高いことにあります。
またホツレの形状に近いことも練習の題材として最適な理由
なのです。