金繕いの工程で、和紙を使う場合があります。
先月文化庁が、ユネスコの無形文化遺産に和紙の登録を目指す
との報道がありました。
そこでかつて和紙が大量に輸出されていた、という話をお送り
したいと思います。
江戸時代末から明治時代にかけて欧米各地の万国博覧会に出展
された和紙は、種類の多様さと品質の高さが評価されて、さかんに
輸出されるようになります。
用途は様々。
タイプライター用紙、謄写版原稿用紙、宝石包装紙、コーヒー濾過紙
などなど。
いずれも和紙の薄くて丈夫な特性を生かしたものです。
その量は現在では考えられないくらい膨大なもので、横浜港 では生糸、
絹製品に続く輸出品として第3位の輸出量を誇っていたのです。
しかしこの状態も、明治34年(1901)をピークに減少していきます。
これは資本主義の進展とともに紙の需要が急増していくのに、
手漉きの和紙が対応しきれなくなってしまった為でした。
同時に国産の洋紙生産が軌道に乗り、輸入もされるようになって
しまうのです。
輸出用の和紙を載せた馬車が、横浜港の桟橋にたくさん並ぶ…
明治時代にそんな風景があったのです。